るろうに剣心の作者はなぜ薫を生かしたのか

るろうに剣心はアニメを見ていました。兄や弟がいなかったので、週刊少年ジャンプ(以下ジャンプと表記)は買っていませんでした。姉が、コミックスを買っていました。
その姉が、ある日血相を変えて「ジャンプの連載版では薫が殺されたらしい」と言いました。そんな馬鹿な、と思いましたが、姉がジャンプを買ってきて見せてくれました。
最後のページで頬に十字傷を刻まれて、絶命した薫の姿はショッキングでした。

私は、ジャンプ全盛期に子供時代を過ごしたので、ジャンプではやたら主人公やヒロインが死んでは生き返るのを見聞きしていましたが、明治時代を舞台にした作品では生き返らせるのは無理だろうと思っていました。(余談ですが、週刊少年マガジンに連載されていた「金田一少年の事件簿」では「マガジンでは死んだ人は生き返らないんだぞ」とこっそり書いてあるコマがありました)

その号の作者の巻末コメントは、うろ覚えですが、少年誌の基本はハッピーエンドだと思っています、という趣旨のコメントでした。
一体どういう意味だろうと、当時は思いました。

その後はジャンプを買わず、しばらくしてコミックスを読んで、薫は殺されたのではなくて、殺されたように見せかけただけだとわかりました。
物語中で薫が殺されなかった理由は、殺害を企てた縁のトラウマだと明かされましたが、そんな理由をつけてまで「薫の死」を演出する必要があったのだろうかと考えました。

ですが、「薫の死」は、剣心が戦う信念を取り戻すために、つまり剣心の原点回帰のために必要だったと、その後のコミックスを読んでわかりました。
大切な女性を二度、自分のせいで失っても、それでも目の前にいる弱い人を助けるために戦う…それが剣心の生き様だったのです。

そこまで丁寧に剣心の心情を描いたなら、物語上、薫を生かしておかなくてもよかったのではないか、と当時の私は思いました。
別に薫が嫌いなわけではありません。むしろ好きなほうでした。
でも、薫が生きていた、という、ご都合主義に走らなくてもいいのではないか、と思ったのです。

剣心と薫が結婚して子どももできて、未来を弥彦に託す…というラストを見て、やっと、作者が薫を生かした意味が分かりました。
未来の象徴として、剣心と薫の子どもを描きたかったからだろう、と思いました。奥さんが他の人だとファンとしては釈然としないでしょう。
この作中に、未来の象徴として描かれた子どもはもう一人います。逆刃刀の職人の孫の伊織くんです。

ただ、未来の象徴として誕生した剣心の息子、剣路が悪役になって、弥彦が倒しに行くというストーリーも考えていたあたりを考えると、るろうに剣心の作者が薫を生かしたのは、少年誌だから、という風にも考えられました。もっと大人向けの雑誌に連載していたら、薫は本当に殺されていたように思いました。

そんなことを考えていた当時高校生の私はずいぶん生意気でした。
ぱいパニック http://www.kindlylight.org/

神を目指した少年が辿り着いた場所

久しぶりに面白い漫画を見付けたんだ、と、職場のおじさんがあんまり嬉しそうに話すので、借りてみたら本当に面白かった。
それはもう十年近く前の話。
映画化もされたその漫画のタイトルは「デスノート」。
天才的な頭脳を持つ高校生・夜神月が、死神の持つ「デスノート」を拾うところから物語は始まる。
それは、ノートに名前を書いた人間が死んでしまうという、正に「死のノート」。
月がノートの効力を理解し、ノートを使う罪悪感に苦しみ、「自分のためではなく、犯罪者の無い新世界を作るために使う」と結論するまでの過程がリアルで、ぐいぐいと引き込まれた。
物語は月と、月を追う謎の名探偵「L」の頭脳戦を中心に展開する。
しかし、人の死によって世界を変えようとする月の考えはやはり歪んでいて、警察や「L」を出し抜けば出し抜くほど、月は緩やかに狂っていく。
人の生き死にを左右する行いは神の領域。
それを実行しようと決めた時点で、彼は狂い始めていたのかもしれない。
この作品が「少年ジャンプ」で連載されたことが、当時としては驚きだった。
ラスト、破滅に向かう月の姿は、惨めを通り越してエグいものがあった。
けれども、そこを描き切ることこそが、この作品の意義だったのだろう。
映画化されるほどの人気を獲得しながら、ジャンプ作品としては短いとすら言える全12巻で完結したのも、描くべきものが初めから明確にあったからではないか、と思う。
作画のレベルも高く、全体として非常に完成度の高い作品である。